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小石川植物園
小石川植物園の写真 東京大学大学院理学系研究科附属植物園は、一般には「小石川植物園」の名で呼ばれ親しまれており、植物学の教育・研究を目的とする東京大学の教育実習施設です。この植物園は日本でもっとも古い植物園であるだけでなく、世界でも有数の歴史を持つ植物園の一つです。約320年前の貞享元年(1684)に、将軍職に就く前の徳川綱吉の白山御殿の跡地に徳川幕府が作った「小石川御薬園」がこの植物園の遠い前身であり、園内には長い歴史を物語る数多くの由緒ある植物や遺構が今も残されています。
その中には8代将軍徳川吉宗の時代に設けられた「養生所(あるいは施療院ともいう)」の井戸もあります。明治10年に東京大学が設立されると共に、直ちに附属植物園となり一般にも公開されてきました。面積は、161,588m2(48,880坪)で、台地、傾斜地、低地、泉水地などの地形の変化に富み、それを利用して様々な植物が配置されています。この植物園は日本の近代植物学発祥の地でもあり、現在も自然誌を中心とした植物学の教育・研究の場となっており、特に東アジアの植物研究の世界的センターとして機能しています。

小石川後楽園
小石川後楽園マップ江戸時代初期、寛永6年(1629年)に水戸徳川家の祖である頼房が、江戸の中屋敷(後に上屋敷となる。)の庭として造ったもので、二代藩主の光圀の代に完成した庭園です。光圀は作庭に際し、明の儒学者である朱舜水の意見をとり入れ、中国の教え「(士はまさに)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から「後楽園」と名づけられました。 庭園は池を中心にした「回遊式泉水庭園」になっており、随所に中国の名所の名前をつけた景観を配し、中国趣味豊かなものになっています。
また、本庭園の特徴として各地の景勝を模した湖・山・川・田園などの景観が巧みに表現されています。
この地は小石川台地の先端にあり、神田上水の分流を引入れ築庭されました。また光圀の儒学思想の下に築園されており、明るく開放的な六義園と好対照をなしています。


淑徳SC文字散歩
樋口一葉宅跡
樋口一葉の資料写真

樋口一葉の肖像は日本銀行券としては女性で初めて紙幣の肖像に採用され今では誰もが知っていることと思います。一葉が幼年の頃過ごした旧家がこの小石川から少し歩いた本郷にあります。
中島歌子の歌塾「萩の舎」に入塾して頭角をあらわし処女小説「闇桜」が雑誌「武蔵野」に掲載されるようになりました。明治28年より「たけくらべ」などを発表、肺結核により永眠するまで24年間の短い生涯に近代文学の基礎を築きました。
この地、当時、本郷区丸山福山町(現在の西片一丁目)に転居します。この時の経験が代表作になる「たけくらべ」の題材になりました。



石川啄木(1885〜1912)は本名を一。岩手県玉山村日戸常光寺に生まれました。はじめ明星派の浪漫主義詩人として出発、小学校代用教員となり、北海道に渡って地方新聞の記者になった後、作家を志望して上京、朝日新聞に勤務しながら創作活動を続けました。大逆事件に遭遇し幸徳秋水らの思想を知り、社会主義の立場にたつようになり『時代閉塞の現状』で自然主義を批判、詩集『呼子と口笛』、歌集『一握の砂』などの作品を残し、貧窮のなかで病歿しました。
団平坂(だんぺいざか)の1つ東側の道の途中(小石川5−11−7)に薄幸の詩人石川啄木の終焉の地があります。今では、碑が残っているだけです。